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未来を考えるインタウンデザイナーのものづくり

奈良県東吉野村のデザイン事務所「OFFICE CAMP」代表の坂本大祐さんと、福井県鯖江市の「TSUGI」代表の新山直広さん。
ともに大阪出身、学生時代は建築を学んでいたという共通点から見えるものとは!?
お二人が手がけた「tesio」と「TOUN」のプロダクトストーリーとともに、インタウンデザイナーとしてものづくりに込める想いを語っていただきました。


 
坂本大祐さん
1975年、大阪府生まれ。和歌山市でデザイナーとして活動をスタート。大阪でのフリーデザイナー時代に身体を壊したのをきっかけに、2006年両親が住む人口約1700人の村、奈良県東吉野村に移住。現在は、2015年に立ち上げた奈良・奥大和のクリエイティブ交流拠点「OFFICE CAMP」を運営しながら、商品や行政プロジェクトのディレクションやデザインを手がける。
新山直広さん
1985年、大阪府生まれ。2009年に大阪から人口約4,200人の町、福井県鯖江市河和田(かわだ)地区に移住。応用芸術研究所を経て、鯖江市役所在職中の2013年に「TSUGI」を結成。2015年に法人化。現在は、企業のブランディングや体験型マーケット「RENEW」の開催、“産地直結型”のクリエイティブカンパニーとして、地域や地場産業のブランディングを手がける。
―今の地域へ移住することになった経緯を教えてください。
 
坂本:京都の建築専門学校を出て、紆余曲折があり結果的にデザインが自分にあいそうだなとデザイナーを始めました。
最初は和歌山市のカフェを運営している会社のデザイン事業部で、その後は大阪でフリーとして活動しました。

とにかくがむしゃらに、フリー時代は特に仕事をしていないと不安で、営業も事務的なこともほぼ全部自分でやっていたため身体を壊し、入院。フルタイムで働かないように医者から止められ、両親が住むこの東吉野に移住。
都落ちみたいな気持ちでしたね。
デザインだけを単発で受けるのではなく、一つのことから派生してトータルで関わる仕事がしたいと感じていた転換期でもあったのでおもしろかったんですけど、その矢先でしたね。1年くらいはゆっくりしながら、知り合いからの依頼で少しずつ仕事をスタートしていきました。「OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO」を立ち上げたのは2015年。
ちょっと型破りな奈良県庁職員との出会いがきっかけです。自治体から相談を受けることも増えていき、地域にデザインが必要だと感じるようになっていきました。
(オフィスキャンプ東吉野:「遊ぶように働く」をコンセプトしたシェアオフィス)



新山:勉強嫌いで、部屋の模様替えが好きなやばい高校生が、進路相談の時に先生から、安藤忠雄さんの『連戦連敗』という本をすすめられたのをきっかけに、美大の建築学科を目指しました。
大学4年生のときに福井県鯖江市の「河和田アートキャンプ」に参加して、生まれ育った大阪にはない、田舎の密な地域コミュニティを知り、コミュニティデザインに興味を持ちました。
 
(河和田アートキャンプ:2004年の福井豪雨をきっかけに始まった復興事業)


「応用芸術研究所」のまちづくり部門に就職し、配属が鯖江市になり移住。そこで越前漆器の危機的な現状を知り、ものづくりの町だからものづくりがよくならないと地域は元気にならない、自分には何ができるのかと考え、デザインにたどり着きました。
独学でデザインを勉強し、未経験デザイナーの僕を雇ってくれたのが鯖江市役所でした。
それが2012年です。
3年間、「市役所内デザイナー」という謎の肩書で鯖江市の地域ブランドに関わりました。元鯖江市長・牧野百男さんからは「行政は最大のサービス業で、その領域に僕たちのようなデザインが入っていないことがおかしい。お前の仕事は大事なんだからがんばれ!」と応援してもらいながら。
地域産業の課題解決のため、「10年後の地域の担い手になりたい」という思いで移住者仲間と「TSUGI」というサークルを立ち上げた後、流通まできちんとできるデザイン事務所を立ち上げたくて2015年「TSUGI」を法人化しました。
(TSUGI事務所)


―それぞれの地域で「インタウンデザイナー」として活躍されていますが、役割や強みはどういうところか教えてください。
 
新山:「インタウンデザイナー」という名前をつけたのはおそらく僕です。僕の中の定義があって

「広義のデザイン視点を持って、その土地の資源を生かした最適な事業を行うことで、地域のあるべき姿を導くこと」

都市ではない地方で働くフリーランスデザイナーのことです。
経産省調べで全国のデザイナーの6割くらいが大阪、名古屋、東京に集中。半分くらいが企業に属するデザイナーで「インハウスデザイナー」と言います。生産地にデザイナーが少ないことが問題で、デザインに必要な計画や設計から入り込んで、伴走して商品が届くところまで、生産地で地域が求めている隙間を埋めていくことが大事だと思い「インタウンデザイナー」という名前をつけました。
―坂本さんはどうですか?地域に根付くデザイナーとはどういうものでしょうか。やはり作り手に近い位置で、一から売りのところまで考えられるということでしょうか。
 
坂本:東吉野村も距離が近いです。そもそも商品が売れるためにデザインをするんですけど、売れる=幸せじゃないということ、ただお金がほしいだけでやろうとするとすごく危ないこと。適正を判断していかないと地方では成り立たないです。瞬間風速を吹かせるのではなく、今売れなくてもじわじわ、続けている方がいい場合もあります。アウトプットの手前の情報の整理や、事業者さんの不安な部分と付き合い、第三者的な目線で意見を言い合える関係性をつくることが大切だと思っています。
 
新山:都市部のデザイナーと地方のデザイナーの一番大きな違いは「やることの量」だと思います。大好きなサッカーでいうと複数対応できるユーティリティープレイヤーの役割ですね。最近若い子も、デザイナーが活躍するのは東京だけじゃない、と感じています。部分的なデザインを担当するのではなく、ちゃんとお客様と膝をつきあわせてデザインがしたい、と。やりがいの面も含めてよくわかります。
(谷口眼鏡のサングラスブランド「tesio」の打ち合わせ風景)


坂本:東吉野村も、最近若手の木工職人が増え、そこにインターンで20代の女の子が来ています。空中戦じゃない、土着的な仕事の仕方が、インタウンデザイナーということ。その場に根を張ってその場所から離れないものというか、そういうものにある種の憧れ、救いのようなものがあるんじゃないかな。最近では生まれ育ってずっと東京という子もリアルにいるので、そういう子からしたら我々みたいな暮らしがもはやファンタジーなのかもしれません(笑)。昔は地方で育った人が東京という都会を夢見ていたみたいに、今はそれが逆になってきていて、ちょうど狭間にいるのかも。


新山:坂本さんと僕の共通点として「建築」がバックボーンにあります。建築は「土地性」みたいなものを求められます。「ヴァナキュラー」という言葉があって、「その土地に根付いた」という意味で、周辺の環境をみて、ここでしかできない建物を考えます。デザインは広告の歴史が長かったので、そこの文化は生まれてこなかったんですが、やっとここに来て「土着」の部分として、そこでしかできない活動が見直されてきているのだと思います。だから先ほど坂本さんがおっしゃったように、爆発的に売るんじゃなくて、地味に長く続ける方が人数規模的にも適していると言えますよね。地方で仕事するときは、割と泥臭く一緒になって伴走していくというのがポイントだと思います。


―新山さんが手掛けた「tesio」、坂本さんが手掛けた「TOUN」について経緯と仕事の内容を教えてください。
 
新山:「tesio」は谷口眼鏡という眼フレームの製造工場が手がけるブランドです。社員の約3分の1が移住者。そして僕が人生かけてやっている「RENEW」の実行委員長が谷口眼鏡の社長です。もともと単発で仕事をいただいていたのですが、「tesio」は初めてブランドづくりから関わらせてもらった仕事です。眼鏡好きが高じて移住してきた谷口眼鏡眼の担当者が、「サングラスのブランドを立ち上げるなら今!」ということで2019年8月からスタート。相談を受けた時点では企画書もしっかりと作られていたので、どの路線で売り出していくかを一緒に考えました。

・雑貨やアパレルなどの異業界でも売れる商品
・高機能スポーツ系サングラスやデザイン重視おしゃれ系サングラスではない、普段使いしやすいサングラス
・オラつかず、肩肘の張らないサングラス
 
 
日本人はサングラスを掛けると調子に乗っているように感じ、掛けるのをためらいます。でも、目を守るためには絶対にかけたほうがいい。そのあたりをちゃんと解消していけるように筋道を作りました。ブランド名は、ささやかに「tesio」。ちょうどいいというときに使う「塩梅」や、大切に育てる「手塩にかけた」という意味。今年の「ててて商談会2020」でデビューしました。


>>tesioブランドページはこちら


坂本:「TOUN」は、奈良県大和郡山市の工業団地にある革靴メーカー「オリエンタルシューズ」の新しいスニーカーです。もともと、奈良の経営とブランディング塾の受講生で、直接ご連絡をいただきました。1947年から革靴づくりをしているメーカーが奈良にあったということ、30名くらいの職工さんが靴づくりをされていて生産量もかなりあるということにまず驚きました。オーダーは、スニーカーのリブランドだったのですが、本当に必要だと思ってもらえるものを作らないと戦っていけないことを何度もお伝えしました。結果的には、ゼロベースで考え直すことになり、自分たちが自信を持って世に送り出せるものをつくることに。
 
・自分たちが履きたいスニーカー
・奈良の人が作ったスニーカー
・奈良の人に履いてもらいたい
 
ここまでは割と早い段階で出来上がったんですが、我々だけのデザインでは弱いと感じ、奈良県出身のグラフィックデザイナー「高い山」の山野英之さんにスニーカーのデザインをダメモトで依頼したらOKをいただけたんです。かなりのチャレンジでしたけど、オール奈良でやってみたいと思っていたのと、ファッションが好きということ、奈良で仕事をしたいとおっしゃっていたことを思い出してオファーしました。こだわりのデザインと靴づくりのプロとの掛け合いで試作が進み、化学反応を起こしながら仕上がったのが「TOUN」です。面白かったですね。
 
靴の原点を辿り、時間と深い歴史が魅力の奈良を象徴するような3種類のデザインに仕上がりました。名前の由来は、かつて履物は「沓(とう)」と呼ばれていたこと、そして東の雲と書いて「とうん」。東側に日が昇った明るく光る雲を意味します。日本、奈良、これから始まるというイメージ。うちのコンセプト「ニューノスタルジック」、新しいけど懐かしいみたいなのが今の奈良にもぴったりくるね、と。一言でいうと「奈良」のスニーカー。奈良を因数分解したうえでスニーカーに再構成したらこうなりました。



>>TOUNブランドページはこちら
新山:やっぱ坂本さんの役割として素晴らしい采配だと思います。山野さんを選んだ時点で、結構勝ち筋が決まっていたと思いますが、山野さんにおんぶに抱っこではなくて、「ニューノスタルジック」とかけあわせたり、メーカーさんとの密なやり取りの中で一番本質の部分を導いたり、ディレクターですよね。指揮者みたいなところが発揮されたんだろうなと思います。産地のデザイナーと東京のデザイナーが仕事をすると、コミュニケーションの弊害が結構あって、最近僕は翻訳家的に動くことが多いです。同じ日本人だけど共通言語が違う。関わる人同士の間をつなぐ役割こそ「インタウンデザイナー」の役割で、すごく大事だと思います。
 
坂本:ありがとうございます。調整というか、チームビルディングというか、作ろうとしている人たちのチームのコンディション。細かなコミュニケーションで作り手の熱量も高めながら、もの自体が生まれるプロセスを楽しめるかという点、そこが僕は毎回重要やと思っていて、それが最終どんなアウトプットになるかに絶対かかってくるんですよ。こちらがコントロールできることには限界があるから、自分たちが離れてもそれが愛され続ける状態でないと続かないですからね。
 


―では最後に、産地の未来について、お二人の今後の目標をお聞かせください。
 
新山:今まで通り「創造的な産地をつくる」ということは大切にしていきますが、今力を入れているのは、観光分野です。コロナ禍でかなり難しいですが、2023年に新幹線が開通するので準備しています。福井はそもそも観光に弱くインフラも悪い。課題はたくさんありますが、「RENEW」をやっていて「産業観光」はいけると感じています。2025年くらいまでには「クラフトツーリズム」といえば鯖江とその周辺みたいなところに持っていくことを目指しています。そうすることでまた、事業者さんの新しい稼ぎをつくるっていこうというのが、自分の中で一番のモチベーションになっていますね。
(RENEW:福井県鯖江市・越前市・越前町で開催される工房見学イベント)


坂本:「OFFICE CAMP HIGASHIYOSHINO」もあと5年もしたら10周年で、僕も50の年。50歳でオフィスキャンプに立っている姿が想像できなくて(笑)。たぶん30代とか20代くらいの子がやっているほうがいいと思うわけで。だから若い子に譲っていこうと思います。あとは、東吉野村は今すごく面白くなってきていて、この面白さを続けるにはどうしたらいいかを考えています。新しい人が入ってきている「RENEW」みたいな仕組みや、継続的に若い子たちが興味を持ってくれるような環境作りも含めて。そういうことを5年10年かけてできたらいいなと思っています。
あと、これは個人的な目標で、今も奥大和クリエイティブスクールを運営していますが、「学び」を軸にした事業をライフワーク的にやりたいなと思っています。根っこにある土づくり、土台作りみたいなところを、今くらいから考えてやりださないといけないなと。やっぱり学びはすごいです。「経営とブランディング塾」がなかったら「TOUN」は生まれてないわけで、お互いに共通言語を持って一つの方向でやっていくことの良さは絶対あって、それがもしかしたらその産地の一つの定番のものを作っていくのかもしれません。
例えば「インタウンデザイナーってどうしたらなれるの?」と興味のある人の入り口を作ったうえで、いろは的なことをお伝えできるような場を作っていきたいですね。そういう人が増えたほうが地方にとって絶対いいですよね。
―未来につながるお話をありがとうございました。